20『問う笛の音に答える歌』 共に一つの曲を奏でよう。 歌と旋律に込められた想いを感じながら、 心を一つに合わせて。 君がその旋律をもって問いかければ、僕は歌で答えよう。 君がその涙をもって相談すれば、僕は笑顔で導こう。 共に一つの道を歩もう。 涙と笑顔に彩られた景色を眺めながら、 心を一つに合わせて。 ふとリクは、目を閉じながら目を覚ましている自分に気が付いた。眠れないときに、取りあえず横になって目を閉じている事はよくあるが、それとは全く違った感覚だ。その状態は、睡魔と夢に身を任せるのと同じくらい心地よかったので気が付かなかった。 (笛の音……?) そう、その状態を作り上げていたのは遠くから彼の耳に届いている笛の旋律だった。 原因が判明すると、この感覚を思い出した。これは目を閉じて良い音楽に聞き入っている時の感覚だ。 同時に、笛の音という言葉に連想する一人の少女を思い浮かぶ。 「………」 リクは黙って身体を起こすと、カーエスとコーダがきちんと寝入っている事を確認し、部屋を後にした。 ***************************** 夜になり、中央ホールに植えられている大樹と壁が淡く光っていた。 フィラレスは、その大樹の根元にある長椅子に座って一心に笛を演奏していた。暗さに困る事はなくとも決して明るくはない照明が照らし、彼女の可憐な容貌を絶妙に引き立てている。 彼女が吹く笛の音は透き通っており、繊細ながらも遠くまで届く力強さがあった。 彼女が演奏しているのは有名な戯曲だった。 その曲に込められた物語の主人公は、舞台である二国の内の一国、リヴァの姫・シルヴィアナである。一人娘として蝶よ花よと育てられてきた彼女は、身も心も美しい。中でも声が素晴らしく、その声に紡がれる歌は万人を虜にする魅力があった。 その評判を聞き付けた隣の国、マントーンの国王は交友を計る名目で二国合同の宴を開き、余興としてシルヴィアナの歌を聞いた。 その声に惚れ込んだマントーンの国王は、リヴァの国王にこれからも仲良くしようと話しかけ、その交友の証として両国の王子と姫を結婚させようではないか、と持ちかけた。 それは、リヴァとしても悪い話ではなかった。マントーンは勢力を延ばし続ける強い国であり、一方リヴァは最近力が衰えてきている上、子供はシルヴィアナ一人で世継ぎがいない。強国マントーンとの血縁関係は、リヴァとしてはとても心強い。 そんな事情もあり、リヴァの国王はその話を受け、シルヴィアナとマントーンの王子・リファスとの結婚話がまとまった。 その結婚話は、シルヴィアナにとって苦痛でしかなかった。彼女は同じリヴァが抱える魔導士・ウィリアスと密かに想いあう仲であったのだから。また、宴で言葉を交わしたリファスは他人を見下すところがあり、あまり彼が好きになれなかったのである。 しかし断れない。リヴァは現在でこそ、マントーンとは特に敵対関係にはないが、この話を断る事で関係にひびが入れば戦争にでもなりかねない。 そうなると苦しむのは多くのリヴァの民である。 自分一人の愛のためにリヴァの国民全てを犠牲にするわけには行かない。そう考えたシルヴィアナはウィリアスに別れを告げ、リファスとの結婚を承諾した。 真に恋人を想うウィリアスは、自分がそばにいてはシルヴィアナが辛いだろうと考え、例え結ばれずとも、永遠に貴女を想うと手紙を残してリヴァから姿を消す。 しかし運命は、国民の為に愛を捨てたシルヴィアナを更に不幸の泥沼に引きずり込んで行く。 彼女を娶り、リヴァの王子となったリファスは密かにリヴァの国王を暗殺し、自分がリヴァの国王となったのである。さらに、マントーンの国王が退位し、リファスにマントーンの王位を譲る。 こうして両方の国の王となったリファスはリヴァをマントーンの中に吸収し、一つの国として合併してしまったのである。元から、それが狙いだったのだ。 その後が悲惨だった。 吸収合併された後、もともと弱い方の国であったリヴァの民はマントーンの民とは区別され、卑しい身分の者として差別して扱われた。マントーンの民がリヴァの民を殺しても罪にならないくらいの酷さである。 リヴァの民は嘆き、そのやり場の無い怒りを、たった一人残ったリヴァ王家の者であるシルヴィアナに向けて、責めた。 なぜリファス王子などと結婚したのだ、と。 この結婚がなければ、自分達は今苦しむ事もなかったのだ、と。 元々民を苦しめぬように自分の愛を諦めたシルヴィアナの心を、リヴァの民からの責めは万力でも使ったかのように締め上げ、苦しめた。 シルヴィアナは結婚を悔やんだ。そして、王妃として、今何も出来ない無力に嘆いた。 その気持ちを込め、月夜の窓辺にシルヴィアナは歌う。 私を明るく照らすのは 夜空の瞳 その暖かい眼差しは 全てを見ている 民の苦しみも 私が犯す過ちも 月よ、あなたは私を捨てますか 怒りますか 嘲りますか 共に苦しみ、償う事も出来ない私を もし許せるならば、教えて下さい。 私がこれから歩める道を。 いきなり後ろから歌声がしたので、フィラレスは笛の演奏を続けながらも後ろを振り向いた。その視線の先にはリクがいる。 リクはフィラレスと視線があうと、口元に笑みを浮かべ、気にせず続けろと手ぶりで示した。 フィラレスはこくりと頷いて、笛の演奏を続ける。 私を優しく撫でるのは 夜抱く腕(かいな) その柔らかい手の平は 全てを庇護する 民が負う傷も 私が呼びし災いも 風よ、あなたは私を責めますか 叱りますか 罵りますか 罪負いながら、恋人に焦がれている私を もし叶うならば、運んで下さい 私が愛する人の言葉を 君よ、貴方は私を恥じますか 笑いますか 哀れみますか 嘆くばかりで、未だ前に進めない私を もし願えるならば、勇気を下さい 私が闘うための勇気を リクの歌声は、成人を迎えているにしては声域が高く、シルヴィアナの歌も見事に歌い上げた。 その心地よい、ましてや自分が想いを寄せる者の声に身を任せ、笛を吹いていると、フィラレスの表情も柔らかくなって行く。 この歌を歌うシルヴィアナの心境は、今のフィラレスと重なる部分が多い。多くの人々を苦しめ、傷つけてしまう罪悪感。しかし彼女の心はそれを償う事よりも、愛する人と逢いたい気持ちの方が大きい。彼女はそれを認め、そんな自分の心を、さらに罪深く感じるのだ。 フィラレスも同じだ。“滅びの魔力”で傷つけてしまった人達に償いをするより、リクと共に行く事を選んでしまった。それは良くない事であることは分かっている。それでも、彼女はリクへの恋心を捨てる事は出来なかった。 歌い終わった後、再び振り返って目が合ったフィラレスに対し、リクが自分を指差して言った。 「結構上手いだろ? 歌」 フィラレスはこくこく頷いた。 その反応にリクは得意そうな笑みを浮かべて続ける。 「呪文の詠唱の基本は歌だって、ファルに散々練習させられたからな。それに、これは秘密だぞ。特にカーエスの奴には」と、リクはフィラレスの耳に口を近付け、小声で言った。「それで、しまいに路銀を稼ぐために酒場で歌わされるハメになっちまったんだ。しかも女装で」 本当はまた浮かない顔をしているフィラレスを笑わせるつもりで言ったのだろうが、フィラレスはそれどころではなかった。 リクの顔が、振り返れば鼻同士があたりそうなほど近くにある。彼の声が耳のすぐそばで聞こえる。彼の息遣いさえも感じられる。 今、フィラレスは自分の顔が一気に紅潮して行くのが感じられた。 そうとは気付かないのか、リクは何を気にする様子もなく続けた。 「あんましマトモに聞いた事無かったけど、フィラレスの笛ってすげーな。なんと言うか、心に響く感じがしてさ」 自分の笛を誉められて、フィラレスの顔が更に赤みを増して行く。 「でも俺、シルヴィアナの“月夜風(つきよかぜ)”より、その後のウィリアスの“共に”のほうが好きなんだよなぁ」 シルヴィアナの歌は夜風に乗って、リヴァを出て旅をしていたウィリアスの耳に届く。ウィリアスはリヴァの状況をきき、シルヴィアナと共にリヴァを救う事を誓って、シルヴィアナに魔法で歌を返す場面がある。 座り直して、改めて笛を構えたフィラレスがその曲を吹き始めた。 「お、それそれ」と、リクは姿勢を正し、歌う体勢に入る。 君はこれ以上、何を失うというのか 家族を失い 国を失い 今の君に残されるは、月夜も心動かすその歌だけ 心悩めし君よ ならば共に失おう 失い続けなければならないのなら、その分私が与えよう 共に歩もう もし君がまだ私を想うのならば 君はそれ以上、何に償うというのか 国家に償い 民に償い 真に償われるべきは、君が国に捧げたその身と心 心痛めし君よ ならば共に償おう 償い続けなければならないのなら、罪を私と分かちあおう 共に進もう もし君がまだ私を信じるならば 君はそれ以上、何と闘うというのか 自分と闘い 罪と闘い それでも何一つとして、君が報われる事などないのに 心迷いし君よ ならば共に闘おう 闘い始めなければならないのなら、私が君の前に立とう 共に生きよう もし君がまだ私を愛するならば 共に守ろう 私達が生まれ育ったこの国を 共に救おう 虐げに傷付き苦しむ者達を 共に歌おう この誓いの歌が夜空に届くまで 恋人から帰ってきた歌で、シルヴィアナは勇気づけられ、彼女は夫であるマントーン国王・リファスと闘う決意をする。夫の目を盗み、リヴァの民達と連絡を取って、計画を練り上げた。そして、ある日彼女はリヴァの民達とともにマントーンを抜け出す。 それは、決して楽な旅ではなかった。長旅には付き物の飢えと乾きの難、そしてマントーンの追っ手が彼女達を脅かす。しかしシルヴィアナは引き返さなかった。ウィリアスと誓ったから。そして彼女に付いてきたリヴァの民も、虐げられるよりはと、どれだけ苦しくても弱音を吐く事無く彼女に付いてくる。 そしてとうとうシルヴィアナはマントーンの追っ手を振り切り、ウィリアスと再会した。 二人は残っているリヴァの民を束ね、ウィリアスを夫とし、シルヴィアナを女王とする新生リヴァ王国を結成する。 そして強国マントーンに闘いを挑んで行く。シルヴィアナに逃げられたリファスは怒り狂って、リヴァに立ち向かうが、怒りに理性を失ったリファスが率いるマントーン軍は敗走を続ける。 リファスの圧制に苦しんでいたマントーンの民も、これを機会に次々と反旗を翻し、マントーンは次第に弱体化して行く。 そしてついに、新生リヴァ王国はマントーンを追い詰め、ウィリアスと魔導士としても優秀であったリファスの一騎討ちの決着によって、マントーンはついに新生リヴァ王国の前に滅びて物語は終わる。 リクの歌と共に笛を吹いていると、今まで味わった事のない快感がフィラレスを支配した。二人で一つの曲を奏でる。自分も、リクも、曲に込められた想いを心に込める。それは即ち二人の心を合わせる事だ。好きな男と心を一つにする。それに勝る快感がこの世にあり得るだろうか。 恋をして良かった。その相手がリクで良かった。笛を吹きながらフィラレスはそう実感した。自然と自分の口元が綻んで行くのが感じられる。 この時が永遠に続けば良い。 フィラレスはそう思ったが、全ての曲には終わりがあり、今彼女も名残惜しく曲を締めくくるところだった。 既に歌い終わったリクが彼女を見つめている。そして笛を吹き終わった彼女をいきなり微笑みながら指差した。訳が分からず、ただ目を丸くしている彼女にリクは続けて言った。 「そうそう、その笑顔だ。何を悩んでんのかは知らねーけど、取りあえず出来るだけ笑っとけば、いつかは本当に腹抱えて笑い転げられるような良い事に巡り合えるモンだ。それに……」と、リクは言いかけて、一瞬迷う。が、照れ隠しのつもりか、微妙に視線をずらし、後頭部に手をやりながら続けた。 「それに、フィリーは笑顔の時が一番可愛いんだからな」 その言葉に、フィラレスは硬直し、今度は頭の先から爪の先まで赤くなった。 ***************************** 何故だ。 フィラレスに計画を拒否されてから、ダクレーの頭の中を占めているのはこの言葉だった。 どうしても納得が行かなかった。“滅びの魔力”で人々を傷つけた罪に苦しむフィラレスの心情を完璧に計算した計画だったはずだ。正式な資料には記載されていないが、“独自の情報源”で手に入れた情報によると、彼女は一度自殺を計っているらしい。そしてミルドの研究記録に残る彼女の行動から読み取れるフィラレスの心情は総じて自虐的な傾向にあった。 フィラレスを死に近い状態に封じ、なおかつ人々の助けになる方法を提供すれば、彼女は絶対に食い付くはずだったのだ。 (それを何故断る!?) いくら考えても答えが出なかった。 命が惜しくなったか。そう考えもしたが、それでも納得の行かないところがある。未練はあるまい。だが、ただ命を失うのも同然の状態になるのが怖くなるということもあるが、まだ具体的な話もしていない段階でそこまでの恐怖を抱くのは不自然だ。 (口さえ利ければ尋問してでも問い詰めてやるものを……) そんな乱暴な事を考えるダクレーの傍らにはミルドが黙って歩いていた。夕方の事があってから、彼等は一言も言葉を交わしていない。そしてそのミルドの隣には、先ほど研究・開発室棟のラウンジで偶然出会ったティタが歩いていた。 彼等が歩いているのは、研究・開発室棟から中央ホールに通じる長い廊下だ。夜は完全に更けてしまっているので、彼等の他には人の気配はない。そのために声や音が響きやすくなっており、何となく三人の間には会話がなかった。 そのうちに中央ホールに行き着いた時、ミルドが小さな声で言った。 「あれ? あそこにいるのフィリーとリク君じゃないかな」 そう言って、ミルドが指差した先を、ティタも確認する。 「本当だ。何やってるんだろうね?」 ティタとミルドの言葉に、ダクレーは一時的に思考を中断し、そちらに注目する。 二人は話をしているようであったが、何を喋っているのかはあまり分からない。しかし遠目に見えるフィラレスの表情は彼が見た事もないくらいに明るい。これは、彼にある事実を気付かせる。 「なるほどね〜、そういうことか」と、そのダクレーの考えを肯定するようなタイミングでティタが悪戯っぽい笑みを浮かべ、顎を撫でる。 その隣では、ミルドも目を丸くしていた。 「あの子が……リク君を?」 一方、同じく驚愕しているダクレーの頭の中では、表情とはまるで違った感情を持っていた。さきほどまでどれだけ考えても分からなかった事に対し、全て合点がいったのだ。 (好きな男が出来たのか……) フィラレスが視線を向けている男を見る。先ほど、ミルドが出した名からすると、フィラレスとカーエスが連れてきた三人の客人の一人のようだ。先日密かに開かれた“亡命計画”の会議でドミーニクが報告したところによると名高い魔導士・ファルガ−ル=カーンの弟子らしい。 「リク=エール……か」 一度、彼のフルネームを声に出して言うと、ダクレーは下品に無精髭の伸びた顎を思案顔で撫でた。 |
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